by coexistgallery 【更新情報】
MireyHIROKI ×100万人のキャンドルナイト@Omotesando-Eco Avenue 2009.06.19(Fri) ........................................ 【蒼山 日菜】 2009.7.8(WED)~2009.7.12(SUN)------------------ 金子祐梨子 ........................................【Wonder garden】 2009.07.8(Wed)~07.26(Sun) COEXIST 携帯サイト! ※只今準備中です ------------------ STAFF BLOG COEXISTスタッフブログ カテゴリ
■NEWS
■EXHBITION ■スケジュール ■過去の展覧会 ■貸しスペース情報 ■貸しスペース規約 ■ACCESS ■エコセントリック ■メディア ■エコアートグッズ ■運営会社 ■東京アンデパンダン展 ■情報 その他のジャンル
ブログパーツ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
「なぜこの作品を購入したか」 「なぜこの展示を行ったか」ということですが、時々こういったギャラリー、アートスペースや美術館から頼まれて、収蔵品を展示しています。 深瀬記念視覚芸術保存基金は1998年の5月に立ち上げたのですが、その時はコレクションに重点が置かれておりました。もともと私はコレクターで、1991年の秋くらいからコレクションをはじめています。最初は何を考えていたかというと、現代美術作品というのは、値段が上がるなど、たまたま運がよくない限りは、途中で廃棄されたり、どこにいったかわからなくなってしまうものが多いのです。赤瀬川原平らの初期の作品(例えば、『ヴァギナのシーツ』など)は破壊されたり失われてしまったりして、中期以降からの作品しかない、そういう状況です。反芸術作品はそういうものが多いです。僕がコレクションをはじめた時は、ポップアートなどの入門しやすい作品から入ったのですが、ポップアートは基本的に(既存の秩序を崩す、という意味で)ダダイズムとつながっている部分があるため、ネオダダ的な動きを追いかけていったのがはじまりです。 1930年代、1960年代、1990年代の美術は、ダダ的な傾向が強く出ている時期なので、そこを基点に進めていったわけです。調べている間に、どうしてこういう失われてしまった作品が多いのだろう、と不思議に思いました。再制作されたものが非常に多いのですね。それが原点にあります。そのなかで「できるだけ当時のオリジナルなものを残せたらいいなあ」という願いをこめて、深瀬記念視覚芸術保存基金を設置したわけです。「保存するんだ」と。保存するといいますけれど、ではどういうものを保存するかというところで、まず、美術館で保存するようなものは自分が保存しなくてもよいのではないか、と考えました。それは美術館で保存すればよいでしょう。今となっては美術館が欲しがるかもしれませんけど、例えば、吉村益信の『三つの雲』という作品。1967年の作品です。彼は反芸術の作家で、ネオダダイズム・オルガナイザーズのリーダーをしていて、彼のアトリエにホワイトハウスという名前をつけて、そこでネオダダイズム・オルガナイザーズの展示を3回開催しました。代表作は大分市美術館や兵庫県立近代美術館などに、収蔵されています。基本的には彼は立体作家とみなされており、この作品は平面だったので、誰も目をかけなかった。保存状態もよくないですし、傷も入っています。誰も重要だとは思わなかったわけですね。それで僕はこれを、業者間で4万円くらいで買ったわけです。傷はあっても、この傷は直せる傷なのです。私は「晶アート」という現代美術ギャラリーを3年くらい共同で運営しておりましたので、額が壊れていても、作品がいたんでいても、直せるかどうかは判断できるわけです。それで、この吉村さんの作品は非常にいい作品だと思ったもので、将来役立つ作品だろう、ということで、収蔵しました。要は美術館がほしがらない、一般のコレクターも買おうと思わないものの中から重要な作品を収蔵していこうと考えたわけです。 収蔵のポイントとしては、まず決定的に重要な作品のマケットとか、その作品のひとつ前につくられた作品などが挙げられます。例えば、小谷元彦に『ヒューマン・レッスン(ドレス1)』(通称『狼のドレス』)という代表作がありますが、そのひとつ前に作った作品である『センシティブ・ポジション』を収蔵しています。また、曽根裕の代表作『19番目の彼女の足』『バースデイパーティ』『アミューズメント』などのコンセプト・ドローイング、マケット、エスキース群、そういうような、美術館が躊躇せず収蔵する代表作の外縁に位置するものを収蔵しています。例えば、エスキースなどの重要性を示す例としては、三木富雄の『耳』の連作が挙げられます。最終立体作品が多くの美術館に収蔵されているのですが、彼はその前にいろいろなものを作っています。ドローイングだったり、写真作品だったり。あとは(第3のカテゴリーとしては)、重要だけれども、はかない、弱いもの。ひょっとしたらみんなが捨ててしまいそうなものです。通常は作品というよりは資料に類するものとして扱われます。 これらのなかでとりわけ多いのはコンセプチュアル・アートです。有名な例は、イボン・ランベールが収集したコンセプチュアル・アートの紙でできた作品のコレクションですが、そのレベルには及ばないにしても、同じような発想で紙のコンセプチュアル・アート作品を中心に収蔵しています。これは650点の中でも非常に多いですね。島袋道浩や小沢剛の作品など、ある作家のシリーズの中で、イボン・ランベールがひとかたまりを収蔵し、残りを深瀬記念視覚芸術保存基金が収蔵している、といったものも2系統ほどあります。 しかし、今回展示したものは、これらとはまったく違います。なぜ違うかというと、展示されている作品のほとんどは、能動的に「買いに行った」というよりは、「結果的に収蔵するに至った作品」です。いろいろな事情が売主にあって、画商や友人などが直接持ち込んできたりして、買うこととした作品です。 絵画は一般の方、コレクターが買っていかれる、美術館でも収蔵される。一般的に作品といえば絵という認識があります。だから、そういうものは持たなくていいだろう、と思っていたわけです。絵画は深瀬記念視覚芸術保存基金の中ではあまり重点対象ではないのですね。ただ、650点もの収蔵品がありますから、中にはなんらかの経緯で入ってきたものも数十点はあるわけです。 時系列的に作品を収蔵していくと、例えば、友人でもある昭和40年会の作品が、広島市現代美術館『40×40プロジェクト 七人も侍』という展覧会で展示されたり、昔から親しかった宮島達男さんの収蔵作品が、東京都現代美術館で『宮島達男』室として常設展示されたりしていく訳です。ただし、今回の展示は、それらとも成立の仕方が異なります。 なぜこの展覧会が成立したかというと、わけありで集まった収蔵作品がある中で、株式会社ゼロエミッションという炭焼き装置と炭の製品を販売している会社の社長さんが、ご自分でも炭の作品を美術作品として制作していて、会社を創業したこの場所から本社を移転させた後に、炭のショールームに使っていたのですが、このスペースを今年からギャラリーに変えたい、という相談を私にもちかけてこられたのが始まりです。私は羽田空港のANAラウンジをギャラリーにするという計画『ANA Meets ARTS』 のアドバイザーなど、いくつかの企業やアートスペースを手がけていたので、引き受けることになりました。それで、春からギャラリーとして、外国人の方の展示を3つ、トウキョウ・ミルキーウエイという100万人のキャンドルナイトでのサテライト企画、それと深瀬記念視覚芸術保存基金の展示を開催しました。コレクション展は、世間一般的に8月が多くて、今年も様々な展示が行われています。8月は暑いし、スペースを借りたいとか個展を開きたい方が少ない時期なのですね。なので、穴埋めのためにコレクターに声をかけて、コレクション展を開くということが、よく行われています。 この会社は環境ビジネスを生業としているので、環境的な作品を出そうということになりました。2つの可能性がありました。ひとつはランド・アートやエンヴァイラメンラル・アートにひきつけた展覧会とする方法です。ただし、クリストやロバート・モリス、村上隆のエコな作品など収蔵してはいますが、それほどたくさんは持っていなくて、全体を意味あるかたちで構成するにはいたらない。そこで、もう1つの可能性として、エコロジカルな風景、ということで展示をしてみようと考えました。すると文脈が構成できました。 実は、昨年の7月26日はカミーユ・コローの生誕200年だったのですね。生誕200年記念は、世界的にいくつか行われていました。たまたま今回の展示開始はほぼ7月26日にあっている。そこでコローを軸にして考えました。 それまでの絵画の歴史的な発展の流れでは宗教な色彩が強かったのですが、17世紀のクランブル絵画以降、だんだん宗教的な色が薄くなって、身の回りの風俗的なモチーフを描くものが増えてきます。代表的なのは、ヨハネス・フェルメールとか、レンブラントです。そういう文脈の中で、宗教色は薄れたけれど、じゃあ何を書いたかというと、「人間のいる風景」です。17世紀から19世紀にかけて書き継がれてきました。その中でコローは何をやったかというと、「いかに画面から人間を消すか」に腐心しました。彼はお父さんに法律の勉強を勧められ、彼なりに悩んでいたわけです。ですが、彼は非常にフランスの郊外、パリの郊外の景色に非常に心をうばわれていて、その美しい景色を残したい、と絵描きになったわけです。妖精が出てくるような美しい風景を描きたかったのです。自然が好きで仕方がなかったのです。しかし、当時のパリの画壇では、まだ人間のない風景、というのは受け入れられなかったわけで、「人間のない風景」をいかに浸透させるか、ということにコローは労を尽くしたわけです。これは1930年から40年の作品ですが、こういった全く人がいない風景をひたすら書き続けたわけですね。しかし、当然のことながら、酷評され、まったく見向きもされませんでした。で、どうしたかというと、妖精を描いたわけです。もともと美しい森、燃え立つような若葉とか木々の中で、妖精でも出てきそうだ、という感覚にとらわれた経験が原点にありますから、妖精を小さく配置するということを考え付いたわけです。こういう作品を1840年代末から50年代に描きはじめたことで、はじめて注目が集まりました。もちろん、彼の自然を美しく描く技法に高い評価はあったわけですけど、それをみんなに認識させるには、人間に似ている、妖精が必要だったのですね。ニンフとは妖精のことですが、1850年代の作品にも『朝、ニンフの踊り』(1850頃)というものがあります。そしてついに、1855年にパリ万国美術展で最高賞を受賞しました。それで風景画というものがようやく認められました。面白いのは、風景画を認めさせたのはコローの力であるのですが、彼は晩年何を描いていたかというと、人物画を描いていました。全く世の中の流れと逆を歩んだわけです。人物画にも傑作は何点もあり、世界中の美術館に収蔵されています。風景画をひとつのジャンルとして絵画史の中に位置づける活動をした作家が人物をかいている、ということが面白いなと思いました。 そこで「図式化されていくエコロジカルな風景と、その中に再度たちあらわれる動物や人物」をテーマにしてみようかな、と思ったわけです。さらにもう1つ付け加えますと、カミーユ・コローの時代以降に、ポール・セザンヌなどいろんな作家が風景を描いているわけですが、例えば、セザンヌが何で世界的に評価されているといえば、林檎といった静物やサント・ビクトワールといった風景を、幾何学形として捉えたところにあります。しかし、彼も人物を描くのですね。この水浴のシリーズの作品も世界中で収蔵されています。これはアンリ・ルソー。19世紀末から20世紀にかけて風景を描いているわけですが、夢のような風景の中で夢の中のような人物を配置しています。20世紀に入り、セザンヌもルソーもそうですが、だんだんに風景を形としてとらえて、その捕らえ方がキュヴィズム的に、真正面からみているにもかかわらず、横からみたように描く(ピカソの例)とか。ルソーのように横からみている筈なのに、真正面からかく、描き方も出てくるわけです。 風景の図式化においては、風景を描いていくわけですが、不思議なことに、風景の中に、みんな動物や人物を配置したがる。フェルナンド・レジェも、人物がいない風景もいっぱい描いているわけですが、結果的に人気が出たのは、人物がいるコンポジション・シリーズなので、みなさん一般的には、人物がいる図式化された風景を見ることになります。このように、20世紀の初頭にかけて、図式化された風景が成立していき、その中で、再度動物、人物が現れてきます。 おもしろいのは、風景の図式化は、折にふれて繰り返され、いろいろな現れ方をしていることです。例えば、1967年の吉村益信さんの『3つの雲』、これは空の景色を図式化していますし、そちらの久里洋二さんの『山の道』という1971年の作品では、山や湖、雨や雲を図式化して、デザイン的に描いている。 今井俊満は、1950年代に、アンフォルメル(不定形抽象)で一世を風靡するわけですけど、1980年代には、図式化された花鳥風月を描いていたわけです。日本の伝統的な風景をデザイン化する、デザイン的絵画です。それまでのアンフォルメルでの高い評価を無視し、ひたすら図式化された風景を描いていたわけです。私は今井さんのアンフォルメルも、『ヒロシマ』という原爆のシリーズも、最晩年の『コギャル』シリーズも大好きですが、花鳥風月もまた好きです。花鳥風月を彼は15年以上かいています、それだけやはり日本の風景を図式化したかったのです。そして、これをなぜ、この展覧会のセンターピースとしてもってきたかというと、日本の中世にも、もともと様式化された美があり、一方で、日本の現代の画家たちは西洋の文脈に基づいて制作していて、西洋の文脈の中で風景が成立し図式化されていく流れがあるわけです。図式化された風景の中で19世紀から20世紀にかけて、動物・人物を配置する、ということを再三繰り返していくわけです。その日本的な様式美と、西洋絵画の流れの風景の図式化というのを、彼はここでミクスチャして、新しいものをつくりたい、ということだったのでしょう。そういうことで、花鳥風月を15年間も描いた。今回の展示の象徴的作品です。 近藤正勝『サラブレッド・ホース』。ずっとロンドンをベースに活動している現代作家ですが、風景ばかり描いている。動物や人物がいない風景をいっぱい描いておりまして、そちらのほうが有名です。そこに動物があらわれている作品です。 丸山直文の最初期の題名のない作品『無題』。とんぼの目玉を拡大してかいています。ステインという技法で制作しています。この染み広がりというのが、まさに有機的・生物的形態を生み出すので、彼は好んでいるわけです。モチーフはマイクロスコープというか、生物のミクロ運動、例えばミトコンドリアなど、生物のきわめて小さい様子を拡大してかく、ということをして評価された人です。風景の中でなぜこれ、というと、意味あいは少し違ってきますが、とんぼの眼でもあり、とんぼの眼にうつる世界でもあると解釈すると、これも1つの風景になります。 荒木経惟『センチメンタルな旅』から舟の上の陽子。私小説作家といいますか、基本的には風景と人物の双方を撮影しています。2つの脈略があると思いますが、これは、風景であり、かつ人物。たいていの場合、かれはどちらかです。人物に非常に食い込んでいく。近寄らなければいい写真はとれない、と。もう1つは、怪獣のおもちゃをとるなど、風景的な撮り方です。2つの流れがありますが、最初の作品集である『センチメンタルな旅』の写真には、この原点が両方はいっています。 横湯久美『ナルシスの視点』。コンセプチュアル・アートの作家で、自分の身の回りの風景を撮影します。そういう意味では荒木さんと似ている部分があります。この連作は、彼女が育った北海道札幌市の昔の家のまわりの風景なのです。この作品は昨年のアースデーのチラシの作品として使ったのですが、人間のいることといないこと、というのをうまいこと撮りわけて表現する作家さんです。一番左は、作家さんの影がなく、真ん中は撮影する自分の影がうつっていて、一番右には、自分のかわりに、雪だるまがうつっている。人がいない景色から、人の気配を感じさせる景色に移りかわっていく、それが「風景の中に再び現れていく人物」という流れになっているので、展示しました。 伊藤存『向こうのつなぎ目』『辛い風』。これらは韓国や国立国際美術館などでも展示しましたので、ご覧になった方もおられるかと思います。この仕事は、基本的に風景を針と糸で縫い取っていくものです。その中に生き物が出てくる。サルや犬など、様々な動物が出てきます。縫い取り(ステッチ)で作っているため、動物が風景と同化していく、その点が、逆に「風景の中からあらわれる動物」という感じがして、主題にふさわしいと思い、展示しました。 人がいない風景に、作家は人間や動物を描きたくなってくる。そうした欲求が、現代日本作家にどう影響しているか、また、日本の様式美とどう関係してくるか、というのを主題として展示してみました。 また、先ほどの、なぜこの展示が成立したかのお話の中で、実はこの作品たちはわけありです、ということをお話しました。深瀬記念視覚芸術保存基金では、重要な作品や資料を保存するためにコレクションをはじめましたが、そこで絵画というのはまったく重点分野ではありません。 ということで、これらは「わけあり絵画」です。ここから先は、オフレコです。 取得価格、この18点合計でいくらでしょうか。 (中略) 有名なコレクターの場合は、業者や作家、元の所有者から作品を持ち込まれることが多いのです。よい作品は、自然に売れていけばよいのですが、そうでない時に、このように持ち込まれて売れていきます。 深瀬記念視覚芸術保存基金では、基本的には、筋立ててコレクションしていくのですが、収集方針から外れる作品でも、最終的には、その作品の質が高ければ、収集してもよいと思っています。650点もあれば、すべてを系統立てることは困難ですし、このようにして集まってきた作品が、結果的に「エコロジカルな風景」という筋を形成していくこともあるわけです。
by coexistgallery
| 2007-09-30 18:32
| ■過去の展覧会
|
ファン申請 |
||